フラメンコ・スター物語〜栄光のディスコグラフィー〜中谷伸一<フリーライター>

 

十代からの活躍も多い早熟のフラメンコ・スターのキャリアは長く、その作品は一人のアーティストに限っても、ときに相当な数に昇る。ライヴを見て気に入り、アルバムを買ったものの、今と芸風が違ってアテが外れた、という経験はないだろうか。そんな時に役立てる、アーティスト別「名盤カタログ」のような形を、1983年創業のアクースティカが長年蓄積した豊富な資料を基に目指そう、というのが本コーナーの遠大なる野望である。全国津々浦々のアフィシオナードの皆様、求むご意見、叱咤激励!

【第1回】 マヌエル・アグヘータ 「究極のランシオ」

スペイン内戦前後の1939年ごろの生まれ(当時の書類が無いという)のマヌエル・アグヘータが、70代半ばで亡くなったのは昨年、2015年12月25日のクリスマス当日。“最後の野性”“カンテ・ヒターノの王”――数々の異名をとった不世出のカンタオールは、全身全霊を傾けた唄いぶりと、「ランシオ声(歳月が醸す玄妙な唄声)」が特徴であった。

 フランス発の人気シリーズ、シャン・ドゥ・モンド/グラン・カンタオーレス・ドゥ・フラメンコvol.8の「マヌエル・エル・アグヘータ」(1986)は、先行発売の「カンテ・ヒターノ」(1972)、「パラアブラ・ビバ」(1977)などからのオムニバス。30代頃の暴発寸前のエネルギーが凄まじい。高速ブレリアや、母方の血縁エル・ネグロ・デル・プエルトの影響が伺えるコリード・ヒターノなど、後年にあまりないレパートリーも聴きモノ。

エッフェル塔が背景のジャケ写が有名な「アグヘータス・エン・パリス」(1991)は、ファンダンゴ、ソレア、シギリージャといった同一曲種を連続して唄う全25曲の構成。圧巻は19曲目からラストまで7曲も連続する無伴奏のロマンセ→マルティネーテ。マヌエルの破天荒さが制作者側にも乗り移ったのだろうか。狂気と沈黙のカンテホンドに鳥肌必至だ。

マドリードの名物コルマオ(フラメンコ酒場)だった「ラ・ソレア」で収録の「エン・ラ・ソレア」(1997。50代に入ったアグヘータのカンテはすでに巨匠の風格。約6年ぶりのアルバムに、新たなレトラで挑んだ全27曲から16曲を厳選。熱心なカバル(フラメンコ通)たちのツボを得たハレオと拍手に包まれた、親密なライヴ感は意外に珍しい。

セビージャのスタジオ録音24キラテ」(2002は、一転、澄みきった白刃のような鋭利さが全編にみなぎる傑作。60代とは思えない驚異の爆発力と、仙人じみた達観が混淆したカンテは、いよいよ別次元へ。ランシオ声のひび割れから覗く、原始が匂う闇。本作は国王フアン・カルロスと長年の友人であるカバル、エル・ジャジョに捧げた。

70代へ突入後も不倒の巨木のごとき存在感を発揮した「V.O.R.S.ヘレス・アル・カンテ」(2012)。エル・トルタ、カプージョ・デ・ヘレス、マヌエル・モネオ、フェルナンド・デ・ラ・モレーナといった、並み居るヘレスの凄腕スターらとの競演でも、群を抜いて別格の存在であった。「いい」「悪い」を超え、訴えるカンテそのものが、まるで違うのである。

結果的に遺作となった「アル・メホール・デ・ロ・ナシオ」(収録年:2013)のサエタ(宗教歌)集では、キリストの殉教場面を変わらぬ不屈の闘志で唄い切り、ファンに健在ぶりを印象付けたばかりだった。

カンテと同じく、ブランデーやウイスキーの世界でも、稀な貴熟香を「ランシオ香」と呼ぶ。その豊穣でクセの強い香りの由来には依然謎が多く、確実なのは、ヘレスのシェリー樽による長期熟成ということぐらいだ。
ヘレス近郊ロタ生まれのマヌエル・アグヘータのランシオ声には、しかし、そんな謎はない。酒やタバコをやらず、70半ばを過ぎた晩年も、「喉が閉じるから」と日々練習を欠かさなかったという、厳しくストイックな自己管理の賜物だった。ヒターノの迫害、無常な人生――暗く陰惨なレトラを猛然たる怒りで吹き飛ばすアグヘータ・タイフーンは、永遠に不滅だ。  

 
2016/05/20
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